100周年記念庭園

2024年3月記念碑除幕式

 晴天に恵まれた2024年3月15日学校の卒業式に併せて100周年記念庭園の記念碑の除幕式を行いました。

卒業式を終えて藪田校長と生徒代表

記念碑の除幕を行う藪田校長と三上朝陽同窓会長


後ろ左:橋本幹事長
後ろ右:題字を揮毫した田久保先生

2024年2月の整備状況

1. 創立100周年記念碑は2024年2月1日に設置完了。
2. 記念碑に興国の鐘のシルエットが刻み込まれている。

校舎とグランドの間の緑地に設置された記念碑

碑の前面には興国の鐘のシルエットと「創立百周年」の碑文

碑文の揮毫は田久保先生(52回)
 
3. 2024年度に、興国の鐘の解説(下記)を記した説明版を記念碑横に設置。設置費用 18万円。
4. 併せて記念碑周辺の植え込みを整備する。
5.興国の鐘 解説文(案)

興国の鐘
 大正12年(1923年)12月25日に、海軍省(当時)から東京府立第六中学校に対し、旧帝国海軍戦艦「三笠」の時鐘が由来記と共に下付され、「興国の鐘」と命名されました。
 戦艦「三笠」は明治時代に勃発した日露戦争(1904~05年)の際に連合艦隊旗艦を務めた艦で、大正12年9月の関東大震災により損傷を受け軍艦籍を除籍されるまで、我が国の海の守りに就きました。時鐘とは艦橋等に吊り下げられ、時刻を知らせるために打ち鳴らされる鐘のことです。大正15年(1926年)には初代校舎玄関前にこの鐘を吊り下げるための鐘塔が完成し、旧海軍記念日の同年5月27日に落成式が行われました。以来、戦前は、毎月曜日と儀式の際に学校長の手により打ち鳴らされてきました。
 しかし、昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争が終結するや、占領軍による接収から逃れるため、興国の鐘は校内いずれかの地中に埋められたと伝えられていますが、その行方は未だに杳としてわからないままです。一方、鐘塔はそのまま残り、新制都立新宿高校のシンボルとして、多くの卒業生の想い出の風景となってきましたが、その鐘塔も昭和44年(1969年)に2代目校舎が完成し、新校舎への移転が完了した後、昭和47年(1972年)になって旧校舎と共に取り壊されました。
 このように、今は、鐘塔も姿を消してしまいましたが、卒業生や在校生に歌い継がれる「健児の歌」の歌詞に「・・・・興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり・・・・」と唄われ、本校100年の歴史を今に伝えています。

 令和4年(2022年)に、本校は旧制府立第六中学校を含め創立100周年目を迎え、同年10月23日には創立100周年記念式典が挙行されました。それを記念し、朝陽同窓会ではここに記念碑を建立し、興国の鐘のシルエットを刻み、その姿を永く後世に伝えることとしました。

令和5年12月25日
                        東京都立新宿高等学校朝陽同窓会


100周年記念庭園の設置構想 (当初計画説明資料) 2023年

母校創立百周年を記念して母校校庭に記念庭園を設置を企画しています。完成は2023年9月末を予定しています。

この記念講演は藪田新宿高校校長の発案によるもので、母校創立100周年を記念し、構内の一角に記念碑を中心とした園地を設け、100年の歴史に思いをはせる場とすべく整備するものです。

整備場所
・校地とグラウンドを結ぶ通路沿いの既存の林地の一角


概要
・間口は幅5~10m,奥行3~5mの範囲とし、既存の立木を活かした状態で整備
・「府立六中・都立新宿高校100周年」の記念碑を建立
・記念碑には、興国の鐘のレリーフを刻む
・興国の鐘の由来を記した説明板を立てる。
・記念碑の周辺は敷石やベンチ,椅子を設け、憩いの場となるよう整備
・周囲にはアセビ,ジンチョウゲ,ヤマブキ,ヤマツツジ,ガクアジサイ,ヤツデなど林内の環境でも育つ低木を植栽し、花を楽しめるようにする。

工費
・約90万円
3. 2024年度に、興国の鐘の解説(下記)を記した説明版を記念碑横に設置。設置費用 18万円。
4. 併せて記念碑周辺の植え込みを整備する。
5.興国の鐘 解説文(案)

興国の鐘
 大正12年(1923年)12月25日に、海軍省(当時)から東京府立第六中学校に対し、旧帝国海軍戦艦「三笠」の時鐘が由来記と共に下付され、「興国の鐘」と命名されました。
 戦艦「三笠」は明治時代に勃発した日露戦争(1904~05年)の際に連合艦隊旗艦を務めた艦で、大正12年9月の関東大震災により損傷を受け軍艦籍を除籍されるまで、我が国の海の守りに就きました。時鐘とは艦橋等に吊り下げられ、時刻を知らせるために打ち鳴らされる鐘のことです。大正15年(1926年)には初代校舎玄関前にこの鐘を吊り下げるための鐘塔が完成し、旧海軍記念日の同年5月27日に落成式が行われました。以来、戦前は、毎月曜日と儀式の際に学校長の手により打ち鳴らされてきました。
 しかし、昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争が終結するや、占領軍による接収から逃れるため、興国の鐘は校内いずれかの地中に埋められたと伝えられていますが、その行方は未だに杳としてわからないままです。一方、鐘塔はそのまま残り、新制都立新宿高校のシンボルとして、多くの卒業生の想い出の風景となってきましたが、その鐘塔も昭和44年(1969年)に2代目校舎が完成し、新校舎への移転が完了した後、昭和47年(1972年)になって旧校舎と共に取り壊されました。
 このように、今は、鐘塔も姿を消してしまいましたが、卒業生や在校生に歌い継がれる「健児の歌」の歌詞に「・・・・興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり・・・・」と唄われ、本校100年の歴史を今に伝えています。

 令和4年(2022年)に、本校は旧制府立第六中学校を含め創立100周年目を迎え、同年10月23日には創立100周年記念式典が挙行されました。それを記念し、朝陽同窓会ではここに記念碑を建立し、興国の鐘のシルエットを刻み、その姿を永く後世に伝えることとしました。

令和5年12月25日
                        東京都立新宿高等学校朝陽同窓会