七夕会2012の報告          企画委員  釜池 徹


  新宿高校卒業20周年を契機として、1980年7月6日に正式発足した七夕会は、周年ごとの記念行事を重ねながら、ついには古希記念文集「あのころ万華鏡」を発刊するまでに進化を遂げてきましたが、今年も昨年同様オペラシティ東天紅で催されました。
  発刊後から間もないことでもあり、期せずして文集発刊記念の集いとして催されたように感じたのは、私一人ではなかったように思います。

  7月7日午後3時、尾崎さんはその開会の辞の中で「・・・文集の話題を中心に思い切りおしゃべりを楽しんでほしい」と述べ、またその文集の表紙を飾った絵画やイラストの現物が会場の前室に展示されていることを紹介しておりました。

  続いて例年通り、増田幹事長の挨拶がありました。
  「今年もこうしてお二人の先生を含め100名の皆さんと再会できたことは、とても素晴らしいことと思う」と述べたのち、特に古希記念文集の発刊に触れて、「七夕会発足後30年の歩みを通して、この文集の発刊を見ること至ったことはとても意義深いことである。これに留まることなく、さらに七夕会を通して仲間の絆を深めていくよう、互いに協力してゆきたい。」と、七夕会のさらなる進化を強調されていました。

  さらに、昨年9月に亡くなられた田中洋一さんのご冥福を祈り、黙祷!がありました。 つづいて釜池の発声で、「われわれ仲間と、それぞれのご家族のご健勝を祈念して」乾杯!

  その後暫く歓談の時間となりましたが、頃合いを見て森茜さんから、石川太郎先生と中野博之先生が紹介されました。石川先生は95歳、中野先生が92歳と、御高齢になられたことでもあり、それぞれお体にご不自由を感ずる日々を過ごされておられるそうです。
  石川先生は視力が弱くなって、相手の顔が丸く霞んでいる程度にしか見えなくなっておられる由。また中野先生におかれては、歩行に困難を覚える外、発声もままならなくなられているので、スピーチは控えたいとのご意向でした。
  斯様に、ご不自由なお体を押してまでも、先生方のご参加が得られるのも、この七夕会が文集発刊に象徴されるような絆を保ち続けているからではないでしょうか? スピーチの中で石川先生は、「・・・人生振り返ってみると孤独だった。軍隊でも孤独だった。そして今外山中学の同窓会で生き残っているのは、自分を含めてたった4人。孤独だねー」。と言われながらも、若い奥さまの温かな早めのお迎えを受けて(森さん・功刀さん談)4時頃お帰りになられました。

  続いて鈴木(房)さんの司会で、「久しぶりの出席者紹介」がありました。飛び入りを含めて、前田肇さん、高橋康夫さん、井ケ田進さん、河野土洋さん、そして卒業以来初参加となった岡田修弥さんの5名でした。岡田さんの初参加は、文集を読まれたことが契機になっていたのかもしれません。
  仲倉文集編集長による、文集原稿応募に関する謝辞と展示作品の紹介が、続きました。

  今年の七夕会運営企画案では、「出来るだけ、対話の時間を長くとる」というのが、基本方針でありました。それを受けた、「文集発行に関する報告」の当初案では、編集長謝辞に加え、発刊に至った簡単な経緯の報告と、文集を飾った作品の現物展示に関する紹介に留めることになっておりました。 ところが発刊から当日までも、あまりに大きな反響が寄せられていたものですから、編集長仲倉さんとしても、6名の編集委員をはじめ表紙やイラスト等で協力された、成瀬、木内、榎本、渡辺、武田、内田さん等の紹介を、当初案に加えることで感謝の気持ちを表わそうとされたように思われます。
  なお、その後も続々と反響が多く寄せられております。こうした反響を受けて、編集委員会はその経緯に関し、『「あのころ万華鏡」発刊報告』を改めて行うこととしました。詳細は本報告につづいて掲載されておりますので、是非ご覧になってください。(朝陽編集部註:報告書は別ページに分離してあります。こちらをクリックしてください。)

  以上に見た前半の式次第のあとは、懇談の時間がゆっくり経過してゆきました。
  文集掲載の内容を話題にし、あるいは久方ぶりの顔触れを相手にして、例年になく談話が弾んだのではないでしょうか?

   宴も最終ステージに差し掛かったころ、土井さんによる集合写真の撮影が行われました。今年からクラス別の撮影はなくなり、参加者全員の集合写真のみとなりました。
  七夕会が太く大きな一つの絆で結ばれていることを、改めて意味づけているのでは・・・?

50周年集合写真

  写真撮影のあとに、恒例の「歌の時間」が続きました。
  歌唱指導の田中(京)さんが、今年も所用で欠席となったこともあり、最初の校歌斉唱は石渡さんの指揮と土井さんのハーモニカ伴奏によるものでした。 校歌につづいて、「高校三年生」と「青い山脈」の二曲が歌われている間、皆さんは何を想いだしていたのでしょうか? 人それぞれの想いが違うのは当然のことです が、元気に古稀を迎えた同期の仲間が、一瞬でも青春時代に想いを馳せる時間を共有出来たということは素晴らしいことではないかと思います。
  七夕会が在るからこそ、可能なことだと思いませんか?・・・如何でしょう!

  最後に、阿部(光)さんによる、来年の七夕会日程報告が、閉会の辞に替えられました。
  来年は、平成25年7月6日(土)オペラシティ東天紅にて、午後6時〜9時、です。 早速、手帳に記入されることを、お勧めいたします。

  恒例の中締めは、青山さんの三本で締められました。

  時計の針は、丁度午後6時を指しており、名残惜しい今年の集いはお開きとなりました。

  来年も元気で再会できることを祈念して、七夕会2012の報告と致します。

  なおこの報告は、高橋(威)企画委員長はじめ今年度企画委員のご支援によってまとめることが出来ました、厚く御礼申し上げます。

  これからも暫く、同期の皆さんの近況報告や同好会案内などが合わせて掲載される「七夕会名簿2012」の編集・印刷が続きます。そしてその発送を完了するまでが幹事の活動範囲となりますので、真夏日の続く今日も、その任にある幹事の幾人かが額に汗していることでありましょう。



七夕会名簿についての私たちの思い

  昭和55年7月7日、卒業20周年を期して七夕会が発足しました。
  そして卒業30周年にあたる平成2年、初めて「七夕会名簿」を発行し、その後、 本年まで毎年新たな名簿を皆様にお届けしてきました。その総数は23冊にのぼり ます。
  その内容は、年を追って豊かなものとなり、最近では総会報告に始まり恩師名簿、 会員名簿の外会員の近況報告、同好会報告、在学3年間のクラス名簿が掲載される ようになっています。また、本年は「古稀記念文集」の発刊という特別活動につい ての報告もされています。
  私たちの名簿は単なる住所録にとどまらず「七夕会の年鑑」ともいうべきものです。 この名簿は、これまでの七夕会の組織、運営を支えるとともに、私たち同期生の心 の絆を育むための大切な役割を果してきてくれています。
  名簿に関し、皆様におかれてはお考えもあろうかと存じますが、私たちとしましては、 ぜひ一人でも多くの方々に名簿をお届けしたく思っております。
  来年以降、名簿送付に係る皆様のご対応をあらためてご検討いただければ幸甚です。
七夕会幹事会